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”中間者の情景” プレスリリース

 この度Gallery ATOSでは、長田哲と平川恒太による二人展"中間者の情景"を開催致します。中間者とは二人が制作について語る中で度々用いる言葉であり、宮下誠氏の著書『越境する天使 パウル・クレー』の中で中間領域と言う形で取り上げられる言葉を長田と平川が独自の解釈で用いている言葉です。
 長田は現在、沖縄で暮らしながら制作していますが、そのことに画家人生の意義を感じています。沖縄が東アジアの中間に位置していることが、意義を感じている理由の一つであると彼は言います。沖縄/沖縄県民は琉球の時代から東アジアの(物理的な)中間者であり、(文化の)媒介者でした。長田は沖縄に越して来たという意味で「越境者」、沖縄生まれ沖縄育ちの妻と婚姻し沖縄で生活している(単なる県外出身の移住者ではない)という意味で「中間者」、県外(内地/本土/大和)出身で県外の文化を身をもって伝えるという意味で「媒介者」と考えられます。彼は越境者/中間者/媒介者であることで、アイデンティティの着地点が定められず浮遊状態であり、その摩擦/矛盾がまた制作に向かわせています。
 また文学部哲学科を卒業した長田は、美大教育を受けていないと言うコンプレックスを抱きながらも、逆にその出自を生かして、分野/ジャンルを越境/媒介する物をつくるという意味での越境者/媒介者を目指すとともに、中間者/アウトサイダーとしての自身の表現の可能性を信じながら制作を続けています。
 一方、平川は『ケイショウされぬ記憶と形』をテーマに、記憶や目に見えないものを如何にして描くかを試み制作してきました。 それは単に、抽象的なものを抽象的に捉えるというのではなく、見えないものを見えないまま描く、見えないものに気づくための拠り所を築くような行為です。 例えるなら、隠された問題を取材し暴くのがドキュメンタリーとすると、見えない問題の本質をそのままを提示する事だと言います。 画家は常に歴史と未来の間に立ち、モチーフ(世界)とキャンバス(絵画)の間にいます。 平川にとって中間者とは画家そのものなのです。平川の作品には狐と人間の顔を持つ生物が度々登場します。 この生物は、人類と自然の中間者であり、文明と文明の中間者として描かれています。言わば画家の自画像と言えます。 記憶とは常に忘却と表裏一体です。平川はその中間で消えゆく形や記憶と向き合います。
 このように両者の“中間者”に対する認識は異なるものの絵画の可能性を越境しようとする姿勢は共通しています。  是非この機会に二人の画家の中間者としての情景をご覧ください。

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平川恒太『どこから来たか、どこへ行く−神の行方』2017/53×45.5(cm)©️HIRAKAWA STUDIO

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長田哲 2017©️OSADA SATOSHI



”中間者の情景”

会期:2017年6月24日(土)〜7月2日(日)
開廊時間 PM1:00~PM6:00 ※外出中あり
休廊日:日曜日 
 ※展示会期間:月曜日(展示会により変更あり 

場所:ギャラリーアトス・沖縄
〒901-0155 沖縄県那覇市金城1-7-1   TEL/FAX:098-859-0158
https://www.galleryatos.com/gallery

作家:長田哲、平川恒太
展示ジャンル:絵画

*作品の問い合わせはギャラリーまでお願いします。
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2017-05-16 : info : コメント : 0 : トラックバック : 0
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プロフィール

hirakawa kota

Author:hirakawa kota
平川恒太 HIRAKAWA kota
生誕31周年目のアーティスト。東京芸術大学修士課程修了。主な展示、2018「森美術館15周年記念展カタストロフと美術のちから展」、2018 個展「悪のボルテージが上昇するか21世紀」,福 沢 一 郎 記 念 館、2018「1940ʼs フジタ・トリビュート」,東京藝術大学 陳列館、2016「 Identity XII – Memorandum on Sublime 」,nca,東京、「VOCA展2014」上野の森美術館,東京、「アートアワードトーキョー丸の内2013」 行幸地下ギャラリー,東京、2010年「The Neverending Story -Hirakawa Kota Solo Exhibition 」原爆の図 丸木美術館,埼玉
http://hirakawa-studio.sub.jp/

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