石組みにみる技術と信仰と神の宿る場所

那智の滝ー圧倒的なスケールと有機的なフォルムは観るものによって様々な神の姿を連想させる
先日、紀伊半島に展覧会のため約10日間滞在した。紀伊長島で展覧会を終え、せっかくなので熊野大社まで足をのばすことにした。
伊勢神宮までは行ったことがあったが熊野はこれが初めてだ。
リアス式海岸の独特の地形と深い山に囲われた豊かな大地は神が住まう神聖な空気が流れていた。
またこの地域には地形からか巨石や滝などが多く、雨も多いことから巨木も多い、日本の宗教が自然信仰から始まったことを身を以て感じることができる。
日本の伝統的な建築は木材が多く木の文化といわれるが、僕はこの旅の中で日本の石の文化を改めて考察したいと思った。
今回は、そのきっかけとなった1冊の本と出会った風景を紹介したい。

その本はこれである。日本の石仏や石の信仰を集めた本だ。
最近アトリエの庭を手入れをしていて江戸時代くらいの石垣を見つけたばかりなので当時の石組の技術力や庭石に関心があったのだが、この本を読み石と日本の宗教を改めて考えたいと感じた。
千葉の鋸山や奈良県宇陀市大野寺の石仏など日本各地に石仏はあり、どこもその土地の信仰と深い結びつきを感じる。
また国歌の中でも歌われるさざれ石は各地で祀られてきた。
日本人と石の関係は意外と深そうだぞ。。
今回私が旅の中で出会った石や石組み達は信仰の対象ではないかもしれないが、私達の文化を支えてきた精神の地盤を固めてきた土台(基礎)の様に感じたので紹介したい。

那智御滝 飛瀧神社石垣

那智御滝 飛瀧神社石垣
これは那智御滝 飛瀧神社にある石垣だ。美しい。。。
決して木を切ることなく石を積み上げ支えあうように道を築いている。
もちろん石垣なので水も地面にぬけ木々に行き渡る。職人の信仰心みたいなものを感じた。

しかし少し残念だったのは最近できた石垣や石畳。。確かに予算も掛かるし時間も掛かるのだろうし、歩きやすいし、もしかすると長持ちもするかもしれんが。。(その辺は解らないので強くは言えないが。。)
こういった感じになるのは事務的で信仰心や自然への敬意を感じないなと思った。


何よりも美しくない。。。
どこの観光地に行っても思うことだが便利さや安全という言葉でその土地の本来の姿(あり方)が見え辛くなっていると感じることが多々ある。
まー熊野詣でや伊勢詣でが庶民に流行った理由の中に各地の名物を楽しむ等の娯楽としての機能もあったわけだから便利さも1つの重要な要素かもしれないが。。
ただ言いたかったのは自然や信仰の距離感というのはどんどん変化しているのだなと感じたのだ。

旧熊野古道参道
その後、丸山千枚田に立ち寄る。ここでは恵み(暮らし)を支える石垣と守り神の様に鎮座する巨石と出会う。

丸山千枚田ー棚田の中央に見守るように鎮座する巨石(右上)

丸山千枚田ー石垣によって築かれた棚田
ここに来て石というものが暮らしのを支える土台としても機能していたことに改めて気がつく。
木によって家等を建てるにもその土台となる石が重要だ。
太古の人々は木を加工するのにも石を使ってきた。
石、面白いぞ。。。

丸山千枚田
そして、ヨーロッパと日本では石に対する意識が全く異なることが面白い。
それは自然の制御に対する考え方と関係し、庭や彫刻、宗教の違い等に現れている。
ここ数年日本の文化、歴史について考察してきたが、日本のオリジナルは何かと考えていた。
今回の旅は、その答えの入り口を開いてくれた気がする。
木の文化は滅びやすいものかとおもっていたが、石垣を観ることでその上に築かれていた時代を知れるのは面白い。

赤木城
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