メル・ギブソン 『ハクソー・リッジ』を観て

展覧会のために1週間ほど沖縄県浦添市に滞在していた。慰霊の日(6月23日)を含め1週間、戦争と平和について多くのことを考える機会になった。
そんな中、日本では慰霊の日の翌日から映画『ハクソー・リッジ』が上映となった。
滞在先の裏がすぐに前田高地であったため映画を鑑賞したのち実際に戦場となった現場を訪れた。
今回は、映画を観た感想と実際に戦跡を巡る中で感じたことを記しておきたい。
映画を観て
結論から言うとこれは平和や反戦を描いた映画ではない。
映画の個人的な感想としてはアメリカらしいと言うかハリウッドらしい戦争映画だなと思った。
英雄を作り、聖戦として描く。
クリント・イーストウッドの硫黄島2部作以降アメリカ人の第二次世界大戦の描き方は変化したのかと思ったが、どうやら変わってないようだ戦後1946年にルース・ベネディクトが書いた『菊と刀』に描かれる日本人像と今回のメル・ギブソンの描いた日本人像はほぼ変わっていない。
仲間(アメリカ兵)の死には感情があるが日本兵の死はとても軽く描かれているように見える。
確かに神風特攻隊や玉砕など当時の日本軍は非人道的なことを多くしており、映画の中で描かれる日本兵のような面も多くあるだろうが、日本人にも国家ではなく人間としての個人のドラマがある。妻や子もいるだろう。
当時沖縄の人は火炎放射器を見て驚き『人がヒージャー(山羊)のように焼かれてる』と思ったそうだ。
武器もアメリカ軍と日本軍では雲泥の差があった。映画の中でデズモンドが日本兵にモルヒネをうつシーンなどはあるが
もう少し日本兵からの視点を描いて欲しい。
今回の映画は映像として戦争の悲惨さグロさが出ていると評価している人もいるようだが実際の沖縄の戦場はあんなものをはるかに超える地獄であったと語り部や残された資料は語っている。
ぜひ、実際に糸数アブチラガマや南風原壕などに行ってもらいたい。
映画の中では聖書が何度も出てくるが、映画館の前ではキリスト教系の宗教団体がパンフレットですと配っていた。
知らずにもらうと中には聖書の一節が。。。なんだかな。。
ハクソー・リッジへ

ハクソー・リッジがあるのは浦添城跡のある前田高地。
この城跡は首里城よりも古いもので琉球の歴史を考える上でとても大事な場所である。
しかしここも当時、艦砲射撃によって多くを破壊された。首里城も破壊された。戦争とは歴史や文化も破壊するのだ。

この建物の中にはこのような厨子がある。

ハクソー・リッジだがこの城跡の北側にある


普天間基地の方から見ると左にヒョッコリ見える岩の右側がハクソー・リッジ。その右側すぐが城跡。
当時この岩を基準に南側(右側)を目標に艦砲射撃が行われた。現在、岩は大きくえぐられ地形もかなり変化したそうだ。

現在、浦添城跡では戦争遺物展がされている。日本兵とアメリカ兵の武器がどれほどの差があったか想像して欲しい。沖縄戦が交渉のための時間稼ぎで見捨てられた歴史を思うと現在の米軍基地の7割を負担し、さらにベトナム戦争時の計画である辺野古まで押し付けられる沖縄県民の怒りは想像に難くない。
沖縄のコレクターさんが『北朝鮮がミサイル撃つとしても最初に落とすのは沖縄だろう。また交渉に使われるんだ。』と言っていたのが印象的で基地と隣り合わせで生活しているからこそ感じることなのだろう。
一度戦争が始まればいくら多くの武器を持っていようとも無傷で終わることはまずない。ISISなどを見ればわかることだ。
また、戦場に行くのは戦争を始める政治家達ではなく国民なのだ。
戦争ができる国ではなく、戦争をしない国。そのための努力をして欲しい。
こんな時代だからこそ沖縄戦に学ぶことは多い。映画ハクソー・リッジが良いかは別として是非この映画がきっかけとなって72年前のことを考えて欲しい。

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