「1940ʼs フジタ・トリビュート」
展覧会名:「1940ʼs フジタ・トリビュート」
会期:2018 年 7 月 28 日(土)ー8 月 15 日(水)
会場:東京藝術大学 陳列館 1,2 階
https://www.geidai.ac.jp/museum/concept/chinretsukan_ja.htm
開館時間:10 時から 18 時まで(入館は 17 時 30 分まで)
休館日:月曜日(7 月 30 日、8 月 6 日、8 月 13 日)
入場料:無料
主催:フジタ・トリビュート・プロジェクト、東京藝術大学 助成:公益財団法人テルモ生命科学芸術財団、公益財団法人野村財団
公益財団法人朝日新聞文化財団 協賛:株式会社 資生堂
2018 年は藤田嗣治没後 50 年にあたり、その大規模な回顧展が本学に隣接する東京都 美術館で開催されます(7 月 31 日―10 月 8 日)。藤田は本学の前身・東京美術学校の卒 業生であり、また 1930 年代半ばから 40 年代末の日本在住期に作品を発表したのはお もに東京都美術館でした。この機に、藤田に関心を寄せたり、かかわりのあった幅広 い世代の作家による「トリビュート・アルバム」のような展覧会を行います。本学の 卒業生かつ教員でもあった野見山暁治氏のエッセイ集『四百字のデッサン』(1978) は、戦時下、美校を繰り上げ卒業になる直前に東京府美術館(当時の正式名称)で藤 田の《アッツ島玉砕》を見た記憶から書き起こされています。1943 年 9 月のことでし た。そこから 75 年を経て初めて、都美術館に作品として「帰って」くる《アッツ島玉 砕》、そして 1949 年に離日してから初めて上野に「帰って」くる藤田を迎えるべく、 本学にゆかりのある作家を核に、1940 年代の藤田を考える機会とします。小沢剛研究 室との協働により、学生たちも制作や運営に関わり、近年、本学に寄贈された藤田資 料の一部も展示に組み込む予定です。会期中には関連イベントも開催します。詳しく は下記ウェブサイトをご覧ください。
出品作家(予定):小沢剛研究室、O JUN、米田知子、秋本貴透、平川恒太 村田真、笹川治子
中山岩太〔藤田ポートレイト写真〕 野見山暁治(特別協力) ほか
facebook ページ https://www.facebook.com/1940s.fujita.tribute
問い合わせ先
1940s.fujita.tribute@gmail.com
笹川 治子(東京藝術大学 先端芸術表現科教育研究助手) 林 洋子(美術史家)
*上記展覧会に先駆けプレ・トークイベントを開催いたします。平川は沖縄の個展搬入のため参加できません。
【プレ・トークイベントのご案内】
日時:6 月 21 日(木)18時00分〜19時30分 (開場:17 時 50 分) 場所:東京藝術大学美術学部 中央棟 2F 第 3 講義室 登壇者:野見山暁治、小沢剛、ほか出品作家数名
定員:120 名 先着順
※ 聴講無料、予約不要
本展のプレイベントとして、本学の前身である東京美術学校の卒業生で、戦 後、絵画科で⻑らく教授を務められた野見山暁治先生(1920 年生)をお迎えし、 太平洋戦争下の東京美術学校の日常についてうかがいます。野見山先生は美校 在学中の 1943 年秋に繰り上げ卒業となり、戦場に赴きました。戦場で病を得 て本国に送還され、結果的に戦争を生き延びることになりましたが、彼の同級 生世代――1940 年から 43 年に卒業した学生たちの多くが戦場で命を落としま した。いまでは「戦没画学生」と呼ばれる、当時まだ 20 歳代の若者たちでし た。⻑野にある小さな美術館「無言館」はそうした戦没画学生の生前の作品が 集まる場所で、先生はその創設にも尽力されました。 野見山先生は画家とし てだけでなく、エッセイストとしても知られますが、その代表作『四百字のデ ッサン』(1978 年刊)にある「戦争画とその後――藤田嗣治」は以下のように書 き起こされています。
「学校で絵を描いていたら誰かが、面白いぞ、と大声をあげながら教室へ入っ
てきた。今なァ、美術館に行って、御賽銭箱に十銭投げるとフジタツグジがお
辞儀するぞ。本当だった。隣の美術館でやっている戦争美術展にさっそく行っ
てみたら、アッツ島玉砕の大画面の脇に筆者の藤田嗣治が直立不動の姿勢でか
しこまっていた」
学校は「東京美術学校」、「美術館」は東京府美術館(現在の東京都美術館の前 身)、そして「フジタツグジ」は藤田嗣治、「戦争美術展」は 1943 年 9 月に東 京府美術館で開かれていた「国⺠総力決戦美術展」のこと。藤田の戦争画を代 表する《アッツ島玉砕》はこの展覧会で発表されました。「アッツ島」での日 本軍の全滅は 1943 年 7 月、そしてその「作戦記録」たる絵画が上野で初めて 発表されたのが同年 9 月。そこから 75 年を経て初めて、都美術館に作品とし て《アッツ島玉砕》が展示される機会を目前にして、野見山先生に当時の東京 美術学校や上野についてうかがう、タイムリーかつ稀有な講演会となります。 聞き手は「トリビュート展」の出品作家である小沢剛ほかです。

会期:2018 年 7 月 28 日(土)ー8 月 15 日(水)
会場:東京藝術大学 陳列館 1,2 階
https://www.geidai.ac.jp/museum/concept/chinretsukan_ja.htm
開館時間:10 時から 18 時まで(入館は 17 時 30 分まで)
休館日:月曜日(7 月 30 日、8 月 6 日、8 月 13 日)
入場料:無料
主催:フジタ・トリビュート・プロジェクト、東京藝術大学 助成:公益財団法人テルモ生命科学芸術財団、公益財団法人野村財団
公益財団法人朝日新聞文化財団 協賛:株式会社 資生堂
2018 年は藤田嗣治没後 50 年にあたり、その大規模な回顧展が本学に隣接する東京都 美術館で開催されます(7 月 31 日―10 月 8 日)。藤田は本学の前身・東京美術学校の卒 業生であり、また 1930 年代半ばから 40 年代末の日本在住期に作品を発表したのはお もに東京都美術館でした。この機に、藤田に関心を寄せたり、かかわりのあった幅広 い世代の作家による「トリビュート・アルバム」のような展覧会を行います。本学の 卒業生かつ教員でもあった野見山暁治氏のエッセイ集『四百字のデッサン』(1978) は、戦時下、美校を繰り上げ卒業になる直前に東京府美術館(当時の正式名称)で藤 田の《アッツ島玉砕》を見た記憶から書き起こされています。1943 年 9 月のことでし た。そこから 75 年を経て初めて、都美術館に作品として「帰って」くる《アッツ島玉 砕》、そして 1949 年に離日してから初めて上野に「帰って」くる藤田を迎えるべく、 本学にゆかりのある作家を核に、1940 年代の藤田を考える機会とします。小沢剛研究 室との協働により、学生たちも制作や運営に関わり、近年、本学に寄贈された藤田資 料の一部も展示に組み込む予定です。会期中には関連イベントも開催します。詳しく は下記ウェブサイトをご覧ください。
出品作家(予定):小沢剛研究室、O JUN、米田知子、秋本貴透、平川恒太 村田真、笹川治子
中山岩太〔藤田ポートレイト写真〕 野見山暁治(特別協力) ほか
facebook ページ https://www.facebook.com/1940s.fujita.tribute
問い合わせ先
1940s.fujita.tribute@gmail.com
笹川 治子(東京藝術大学 先端芸術表現科教育研究助手) 林 洋子(美術史家)
*上記展覧会に先駆けプレ・トークイベントを開催いたします。平川は沖縄の個展搬入のため参加できません。
【プレ・トークイベントのご案内】
日時:6 月 21 日(木)18時00分〜19時30分 (開場:17 時 50 分) 場所:東京藝術大学美術学部 中央棟 2F 第 3 講義室 登壇者:野見山暁治、小沢剛、ほか出品作家数名
定員:120 名 先着順
※ 聴講無料、予約不要
本展のプレイベントとして、本学の前身である東京美術学校の卒業生で、戦 後、絵画科で⻑らく教授を務められた野見山暁治先生(1920 年生)をお迎えし、 太平洋戦争下の東京美術学校の日常についてうかがいます。野見山先生は美校 在学中の 1943 年秋に繰り上げ卒業となり、戦場に赴きました。戦場で病を得 て本国に送還され、結果的に戦争を生き延びることになりましたが、彼の同級 生世代――1940 年から 43 年に卒業した学生たちの多くが戦場で命を落としま した。いまでは「戦没画学生」と呼ばれる、当時まだ 20 歳代の若者たちでし た。⻑野にある小さな美術館「無言館」はそうした戦没画学生の生前の作品が 集まる場所で、先生はその創設にも尽力されました。 野見山先生は画家とし てだけでなく、エッセイストとしても知られますが、その代表作『四百字のデ ッサン』(1978 年刊)にある「戦争画とその後――藤田嗣治」は以下のように書 き起こされています。
「学校で絵を描いていたら誰かが、面白いぞ、と大声をあげながら教室へ入っ
てきた。今なァ、美術館に行って、御賽銭箱に十銭投げるとフジタツグジがお
辞儀するぞ。本当だった。隣の美術館でやっている戦争美術展にさっそく行っ
てみたら、アッツ島玉砕の大画面の脇に筆者の藤田嗣治が直立不動の姿勢でか
しこまっていた」
学校は「東京美術学校」、「美術館」は東京府美術館(現在の東京都美術館の前 身)、そして「フジタツグジ」は藤田嗣治、「戦争美術展」は 1943 年 9 月に東 京府美術館で開かれていた「国⺠総力決戦美術展」のこと。藤田の戦争画を代 表する《アッツ島玉砕》はこの展覧会で発表されました。「アッツ島」での日 本軍の全滅は 1943 年 7 月、そしてその「作戦記録」たる絵画が上野で初めて 発表されたのが同年 9 月。そこから 75 年を経て初めて、都美術館に作品とし て《アッツ島玉砕》が展示される機会を目前にして、野見山先生に当時の東京 美術学校や上野についてうかがう、タイムリーかつ稀有な講演会となります。 聞き手は「トリビュート展」の出品作家である小沢剛ほかです。

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